対外開放の戦略転換
中国の朱鎗基上海市長(当時)が、全身を耳のようにして傾聴するなかで、李鵬首相は「上海の浦東開発計画」を国務院が正式に批准したことを、声高らかに発表しました。
1990年4月18日、上海市郊外にある中国・西ドイツ(当時)の合弁会社、上海大衆自動車有限公司の創立5周年を記念する式典の祝辞のなかでした。
ここから上海のすべてがといってもいいほど、「浦東開発」一色になって動き出したのです。
開発総面積350平方キロ、上海市の街の真ん中を流れる黄浦江の東側、揚子江の河口と東シナ海に面した三角地帯に自由貿易区、金融・貿易センター、ハイテク工業区などを建設しようというもの。
総事業費は500億元(1元は約25円)、1991年度の中国の国家歳入予算の7分の1に相当する巨額な資金が必要とされています。
浦東開発計画は深訓や珠海、度門といったこれまでの経済特区のような地域別の開発計画と違い、「上海」を沿海地区開発の戦略拠点として位置づけた国家プロジェクト。
90年代における中国の対外開放が南から北へ振り出していく重大な戦略転換です。
もちろんこの開発計画は、これまでに例を見ない大規模な経済開発計画になりました。
スペースコレクションリサーチによると、そこには上海を貿易、金融、科学技術、文化にわたる広い分野で国際経済都市としての機能を強化して、その経済・技術の波及効果を周辺省市も含めた「揚子江デルタ地帯」にまで広げようという壮大な狙いがあったのです。