対外開放の戦略転換 9

市長は帰国後行われた記者会見で「事前に中央と打ち合わせをすることは当然のことだ」と述べ、高官どうしの接触が禁止されているなかで、ニクソン元大統領、キッシンジャー元国務長官との会談や政府・議会関係者との懇談および講演会を行い、関係改善の道筋を探りました。


天安門事件について、朱市長は


「歴史的な事実で誰も隠すことはできない。


真相は将来明らかになるだろう」


・・・と述べていますが、アメリカ国民の中国に対する感情には厳しいものがありました。


一部の講演会場では、天安門事件への抗議を示す横断幕が掲げられるケースがありました。


朱市長は「まだ誤解が十分にとけたとは思えない……」と帰国後の会見で述べました。


アメリカの国際的な影響力に期待した訪米でしたが、ぎくしゃくした中米関係は「人権」を軸にいまも続いています。


対外開放の戦略転換 8

朱鎗基ミッションの地ならしを受け継ぐようにして、90年8月、李鵬首相がシンガポールを訪問し、両国の国交が樹立されました。


これで対シンガポール関係は政治、経済の両輪がそろったのです。


「6・4」天安門事件が中国経済に及ぼした影響を改めて述べることは省略します。


しかし、華僑資本に対する浦東セールスを順調にこなした朱鎗基ミッションの最大の狙いは、90年7月のヒューストン・サミットと時を同じくして計画されたアメリカ訪問でした。


経済制裁が続くなかで、凍結されている日本の第三次円借款をはじめ、世界銀行、アジア開発銀行の融資をいかに早く再開させることができるのか、そのイニシアチブを握るのはアメリカだからです。


朱鎗基市長は訪米前に数回にわたって北京に赴き、中央政府の関係者と打ち合わせを行っています。


中米関係の改善が最大の眼目でした。


まさに、中国政府の特使的な役割を担ったアメリカ訪問だったのです。

対外開放の戦略転換 7

いきおい朱鎗基市長は「中国の安定と投資にリスクはない」ことを繰り返し強調することになりました。


代表団は上海.香港経済合作展望シンポジウムを開く一方、年末に予定されていた上海証券取引所の開設や外資系銀行の支店設立など、金融改革と外資導入に向けて活発な動きを見せました。


上海テレビ局はこのミッションに特派員を同行させ、香港の株式市場を実地見学する朱市長らの様子を伝えるリポートを連日伝え、開発ムードの盛り上げに力を入れたのです。


一方、香港のマスコミも朱鎗基市長を「中国のゴルバチョフ」と評し、カラー写真や似顔絵入りの記事を掲載しました。


「穏健改革派」の朱市長の政治的な将来性を視野に入れた形で、この上海・浦東開発計画を見ていたのです。


朱鎗基ミッションの浦東開発セールスの次の目的地は、これまで国交のなかったシンガポールでした。


人口の76パーセントが中国人で占められるシンガポールは華僑の国と言っても過言ではなく、「アジアの経済開発の奇跡」とまでいわれたシンガポールはセールス先として絶対に欠かせぬ国でした。


そして、この訪問のなかでシンガポール貿易発展局の楊至耀主席は朱市長の「浦東開発区の視察招聰」の申し出を即座に受け入れたのです。


対外開放の戦略転換 6

国務院の「お墨付き」を得た浦東開放計画を、いかに対外開発政策と結びつけていくのでしょうか。


それは21世紀にまたがる大国家プロジェクトをアジア・太平洋地域を中心とする国際経済の枠組みのなかにしっかり組み込んでいくことだといわれていました。


特にアジアのなかで力を持っている華僑資本をいかに上海に呼び込むかがひとつの大きなポイントになったのです。


1990年6月8日、朱鎗基市長を団長にし、市経済顧問の江道函元市長、それに計画委員会、外貿委員会などの実務者たちからなる上海経済代表団が香港、シンガポール訪問に出発しました。


ミッションの主役はなんといっても朱鎗基市長。


市長は否定するものの「浦東開発計画」は「朱錯基」の名前と一体のイメージが強いのです。


朱市長が会ったのは香港経済界の大物で、上海の経済界ともつながりの深い包玉剛氏、そして、香港工業総会会長の張鑑泉氏、香港恒生銀行会長で、香港連合交易所主席の利国偉氏らです。


包氏や張氏ら香港の経済界の要人たちは浦東開発に賭ける朱市長の協力要請に理解を示しました。


しかし、「6・4」天安門事件以後、投資環境としての中国の政治・社会状況の国際評価は決して見通しの明るいものではなかったのです。

対外開放の戦略転換 5

前述の記者会見の席上、朱鎗基市長は開発計画の資金難をどうするのかという質問に、


「上海人はお金がある」


・・・と市民の財布も資金計画のアテにされていることを示唆しました。


その一方、90年4月の上海市人民代表大会の政治報告では原稿にはなかった「都市ガスの普及に全力を投入する」ことをアドリブで入れ、市民に生活改善を約束したのです。


地域開発の側面から見て、新旧市街地の間にアンバランスな結果が生まれることは、市政府として絶対に避けたいという意向が強く働いたものと思われます。


黄浦江をまたいで、新市街地と旧市街地を結ぶ南浦大橋は浦東開発のシンボルです。


91年の年末には完成、そして華々しい開通式が行われました。


その陰で、いまの居住条件の改善が優先順位1位と考える旧市街地の市民から、冷めた声がもれてきそうな気がするのは私だけではないようです。


「北京」ばかりではなく、上海の市民感情も推し量りながらの舵取りが続くのです。

対外開放の戦略転換 4

時の市長・江道函氏は、いまも上海市政府の経済顧問として、この開発計画に大きなかかわりを持ち続けています。


この計画は次の江沢民市長、そして朱鎗基市長にと、引き継がれてきたのです。


上海市民と浦東開発国家プロジェクトである浦東開発も上海市民の目から見れば、わが町・上海の身近な都市開発計画として映ります。


旧市街地の市民が抱える住宅難、交通難、都市ガス難など、3重苦、4重苦の課題がこの開発計画によっていかに良くなるのか市民の関心は高いです。


「政治に死ぬ北京人、算盤に死ぬ上海人」といわれる上海人の真の協力を得ていくことは開発計画の推進に欠かせない条件です。


地元資金の調達のひとつとして考えているのは、市民の「タンス預金」です。


90年末の上海市の個人預金残高は252億2000万元余りに達しています。


これを建設債などの形で引き出すためには、市民の算盤に見合う形で生活条件の改善度を示していかなければなりません。

対外開放の戦略転換 3

中央政府の強力な「舵取り」の下で進められることになるこの開発計画が、「李鵬プラン」とも呼ばれるゆえんです。


李鵬首相がこの計画の「国務院批准」を発表したときは、まさに天安門事件に対する国際的な厳しい経済制裁が続いていた最中でした。


開発計画と併せて、その鍵を握る対外開放政策の不変を強調する政策的な側面からも発表の舞台は「北京」よりは、国際都市として響きのいい「上海」がより効果的だと踏みました。


李鵬首相自らの上海入りにつながったといえます。


ここで、上海・浦東開発計画の歴史を簡単に振り返ってみたいと思います。


上海市にとって、黄浦江は水運の一大動脈として欠かせない存在です。


この黄浦江によって遮られた東側の広大な揚子江の三角州は、旧租界地を中心に発展してきた西側の地域に比べると、140年の上海市の都市建設のなかでいつも置き去りにされたような存在でした。


しかし、その開発構想は1920年代に著された孫中山(孫文)の「建国方略」に、東方大港計画や新市街地建設計画としてすでに論じられていたのが見えます。


それから60年余りたった1984年、上海市政府の都市計画として初めて正式にまとめられ、新たな1歩を踏み出すことになったのです。

対外開放の戦略転換 2

浦東開発計画は91年春の第7期全国人民代表大会(全人代)第4回会議で承認されました。


李鵬首相(当時)は「経済・社会発展10力年計画」と「第8次5力年計画」のなかで、「浦東」の開発と開放に全力を傾けるべきだと述べました。


浦東開発の舞台裏こうした背景を舞台裏から見てみましょう。


ワイキューブ研究所によると、改革開放路線に乗ってこの10年間にめざましい発展を遂げた広東省を中心とする南部の経済特区に比べると、中央財政に対する貢献度の高い上海の開発は遅れてきたといえます。


輸出主導型の特区とは基本的に産業基盤が違うとはいっても、中央に貢ぐだけ貢いで、全国に奉仕しっぱなしでは84年来の開発計画が「絵に描いた餅」に終わってしまうという危機感が上海市当局に強かったことは否めません。


1990年4月30日、浦東開発計画発表の内外記者会見での朱鎗基市長の表情を思い出します。


国務院の批准、李鵬首相の署名がある10項目の政策要綱を盛り込んだ文書をかざしながら、記者団の質問に答える朱鎗基市長の自信に満ちた顔は、まさに危機感の強さの裏返しでした。


経済の引き締め政策が続くなかとはいえ、単に「上海エゴ」ではない「国家プロジェクト」としての意義づけが、保守派をして開発計画の同意に向かわせ、これまでの中央に対する上海の実績に報いることになったと見ることができるのではないでしょうか。

対外開放の戦略転換

中国の朱鎗基上海市長(当時)が、全身を耳のようにして傾聴するなかで、李鵬首相は「上海の浦東開発計画」を国務院が正式に批准したことを、声高らかに発表しました。


1990年4月18日、上海市郊外にある中国・西ドイツ(当時)の合弁会社、上海大衆自動車有限公司の創立5周年を記念する式典の祝辞のなかでした。


ここから上海のすべてがといってもいいほど、「浦東開発」一色になって動き出したのです。


開発総面積350平方キロ、上海市の街の真ん中を流れる黄浦江の東側、揚子江の河口と東シナ海に面した三角地帯に自由貿易区、金融・貿易センター、ハイテク工業区などを建設しようというもの。


総事業費は500億元(1元は約25円)、1991年度の中国の国家歳入予算の7分の1に相当する巨額な資金が必要とされています。


浦東開発計画は深訓や珠海、度門といったこれまでの経済特区のような地域別の開発計画と違い、「上海」を沿海地区開発の戦略拠点として位置づけた国家プロジェクト。


90年代における中国の対外開放が南から北へ振り出していく重大な戦略転換です。


もちろんこの開発計画は、これまでに例を見ない大規模な経済開発計画になりました。


スペースコレクションリサーチによると、そこには上海を貿易、金融、科学技術、文化にわたる広い分野で国際経済都市としての機能を強化して、その経済・技術の波及効果を周辺省市も含めた「揚子江デルタ地帯」にまで広げようという壮大な狙いがあったのです。

神経細胞の長い手と短い手 2

1つの神経細胞につき1本だけ長い手があり、これが軸索(神経細胞のこと)というもので、先のほうで枝わかれしている。

長さは、ものによっては数十センチメートルも伸びているものがあり、太さは0.5ミクロンから1ミクロン以上のものまであって、太いものは外側が鞘のようなものでおおわれている。これを髄鞘という。

この髄鞘は数ミリごとにくびれていて、そのくびれを絞輪とよんでいる。高等な動物ほど髄鞘をもっていて、無脊椎動物などはすべて髄鞘をもっていない。

で、これら2種類の手にはそれぞれ役割が与えられている。情報の受け渡しの役割だ。

樹状突起(そして細胞体自身も)は他の神経細胞からの情報を受け取る仕事をし、軸索は情報を他の神経細胞に伝達する仕事をしている。

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